神戸地方裁判所 昭和33年(わ)954号 判決 1959年3月18日
被告人 小崎静雄
大四・七・一五生 日雇人夫
主文
被告人を懲役一〇年に処する。
未決勾留日数中一二〇日を右本刑に算入する。
理由
(被告人の本件犯行に至るまでの経過)
被告人は、小学校を卒業後、一時渡満し、郷里に引揚げてきてからは、農業を手伝つたり古着の行商や職工などをしていたが、その後失業対策人夫として働いているうちに、昭和三一年九月頃肺結核にかかり、熊本市水前寺本町水前寺診療所に入所して療養中、翌三二年一〇月頃から、同診療所の附添婦で、当時寡婦であつた添田千代子(大正一〇年四月二五日生)と肉体関係を結ぶようになり、同月末頃、右診療所を退所し、同市岡田町三一番地で右千代子やその子供ら三人(長女博美当一五年、長男功当一三年、次男文夫当一〇年)と同棲し、千代子がその貯金で貸本店を買い取つて経営し、被告人がその手伝いをしていたが、被告人は、働きがないうえに、飲酒しては千代子に乱暴することもあり、子供らとの折りあいが悪く、同女とも次第に不仲となり、昭和三三年五月中旬頃、同女の要求により別れ話が成立し被告人は金員を貰つて熊本に残り、千代子は右貸本店を処分し、実母内田タケ(当五六年)を頼つて神戸に来て、同市灘区岸地通二丁目三四番地に居住し、家政婦などをして生活していた。ところが、被告人は、右千代子に対する未練が絶ち切れず、同年六月中旬頃、神戸に来て、右千代子方を訪れ、同女に復縁を迫り、かつ、前記内田タケや千代子の妹婿白阪暢らとも会見し、復縁話をもちかけたが、何分被告人には定職がなく、日雇人夫をしてかろうじて生活し、千代子に下宿代を足してもらうようなありさまであつたため、同人らから快く受け入れて貰えず、その後も執ようにその話を持ちかけながら、ひたすら焦そうの念にかられていた。
(罪となるべき事実)
被告人は
第一、同年八月一七日午後九時頃、当時被告人が起居していた肩書の簡易宿泊所楽天荘の附近で、右千代子と会つて話をしたが、同女が被告人に対し冷淡な態度を示したことから口論となり、その際同女は「あんたは何かいうとすぐに怒る。そんなことならこれからお母さんに話してみる」と言つて喧嘩別れとなつたので翌一八日午前二時半頃、切出しナイフ一本を携帯して、前記千代子方へ行つたが、同女が、被告人の不穏な気配を察知して、右タケの住居する同区泉通四丁目一二番地白阪暢方へ逃避するや、その後を追つて同家に至り、更に千代子が同家から逃げていつたので、被告人も一旦は同家を立ち去り、千代子方へ行つたが、不在であつたので、同日午後六時半頃、再び白阪方に押しかけ、同家二帖の間に千代子の寝ているのを見つけ、同女の頭部をいきなり手挙で殴りつけたうえ、同家四帖半の間で、千代子、タケ及び右白阪暢と向いあつてすわつたところ、タケや白阪から何も言うことはないから早く帰るように言われたばかりでなく、千代子からも「あんたと話すことは何もない」といわれ、もはや同女と従来の関係を復活する見込がないことをしるや、自暴自棄となるとともに憤激のあまり、千代子に対し殺意を決し、右四帖半の間及びその裏縁側附近において、やにわに左手で同女の身体をつかまえ、右手に前記切出ナイフを持つて、同女の胸部及び背部等を数回突き刺し、左胸部及び右胸部に創管の長さ一〇センチメートルないし一二センチメートルに達する三個の刺創並びに右背部刺創等の傷害を負わせ、よつて同女をして、右受傷直後、同家裏側路上で心臓刺創による失血のため死亡するに至らせて、殺害の目的を遂げ、
第二、右犯行の際、前記裏縁側附近で、
(一)、被告人を制止しようとした前記内田タケに対し、前記切出しナイフで同女の左腕に切りつけ、更に同女の身体を振り飛ばして同家裏庭の板べいに衝突させ、よつて同女に対し、加療約二週間を要する左前腕部切創及び背部挫傷を負わせ、
(二)、被告人を制止しようとした前記白阪暢(当二九年)に対し、右切出しナイフで、同人の左季肋部等に切りつけ、よつて同人に対し、加療約二週間を要する左季肋部、左手掌及び示指並びに左拇指各切創の傷害を負わせたものである。
(証拠の標目)<省略>
(被告人及び弁護人の各主張に対する判断)
被告人及び弁護人は、判示第一の事実について、添田千代子に対する殺意を否認しているので、この点について案ずるに、前掲各証拠によれば、被告人が本件犯行の用に供した切出ナイフは結局発見されていないが、押収されている鞘から判断すると、刃先は三角型を呈し、切先から柄元までの長さは七センチメートル強のものであると認められること、判示添田千代子の受けた創傷の部位程度は、(一)大胸筋を貫通し、左第三肋骨下縁をかすめて心膜を破り、右心室に入り、心室中隔を貫通して左心室腔内に達する創管の長さ約一二センチメートルの左前胸部刺創、(二)大胸筋を貫通し、肋軟骨上縁に損傷を伴い、左肺上葉前面に刺入する創管の長さ約一二センチメートルの左前胸部刺創、(三)大胸筋を貫通し、肋軟骨下縁をかすめて、右肺中葉前面に刺入する創管の長さ約一〇センチメートルの右前胸部刺創、(四)右背面肋骨弓道下に筋肉に達する刺創等であること(本件兇器の柄元までの長さが、前示のように七センチメートル強と認められるにもかかわらず、一〇センチメートルないし一二センチメートルの創管の長さを有する刺創が生じていることは、その刺入口の部位が乳房部ないしは乳房上端部であり、且つ被告人の刺突の勢が甚しかつたことをあわせ考えれば納得できる。)判示千代子は右の(一)の刺創による失血のため、受傷直後死亡していることをそれぞれ認めることができるのであつて、判示のような犯行の動機と、右のように、被告人が鋭利な刃器をもつて人の身体の重要部を数回にわたり力強く刺突した態様とを総合考量するときは、被告人に殺意があつたものと認定するを相当とする。
けだし、殺意は人の主観的、心理的な事実であるけれども、被告人がこれを自白しない場合に、間接証拠によつてその存在を認定するのは少しもさしつかえない。そして、自分の行為が何であるかを理解するだけの精神的能力を持つ者は、反証のないかぎり、その有意的行為から通常生すべき結果を意図したものと推定するを相当とする。被告人は、千代子を刺すという認識すらなかつたというけれども、記録上、被告人が犯意を欠くほどに弁識力を失つていたものとは認められず、且つ前記の推定を妨げる資料はないから、被告人は、自己の行為が死の結果を生ずることについて十分な認識があつて本件の行為に出たものと認定しなければならないのである。
次いで弁護人は、判示第二の(1)、(2)の各傷害の行為について、被告人は逆上のあまり暴行の意思すら有しなかつたと主張するが、前掲各証拠によれば、判示のとおり被告人は内田タケ、白阪暢のいずれとも意見及び感情の対立があつて、右両名に対し、害意を抱いていたと認められるばかりでなく、被告人を制止しようとした右両名に対し、これを振り飛ばし且つ組み合つた事実及び同人らに切出しナイフで切りつけた事実自体から考え、かつ、前記のように、被告人がその当時犯意を欠くほどに弁識力を失つていたものとは認められない本件においては、被告人が当時自己の犯行を制止しようとする右両名に対し、暴行の意思を有していたことは明らかである。
更に、弁護人は、被告人は本件各犯行当時逆上の結果心神耗弱の状態にあつたと主張し、被告人もまた「当時私はかーつと逆上してしまつて自分で何をしたのかよく分らない」(第一回公判)旨述べ、心神喪失又は耗弱の主張をするもののようである。そして、被告人が千代子らの言葉に憤激のあまり興奮して本件犯行に及んだことは判示のとおりであるが、本件犯行の前と後における被告人の行動については、被告人自らも明確に述べておつて、その精神状態には何ら異常な点が認められず、且つ、被告人の本件犯行時における精神状態についても、被告人の行為自体及び内田タケ、白阪暢、白阪敏子の各供述に照らし、その動機と行為との間に脈絡があつて、その間なんらのむじゆんやくいちがいを認めることができないから右の興奮の事実のみをもつて被告人が犯行当時、事物の理非善悪を弁識し、又はその弁識に従つて行動する能力を欠如し又はその能力が著しく減退していたものとは認められない。
従つて、弁護人及び被告人の右各主張はいずれも採用できない。
(法令の適用)
被告人の判示各行為中、判示第一の行為は刑法第一九九条に、同第二の(一)、(二)の各行為はいずれも同法第二〇四条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、それぞれ該当するから、いずれも有期懲役刑を選択し、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条、第一〇条により、最も重い判示第一の殺人の罪の刑に、同法第一四条の制限内で法定の加重をし、被告人を主文第一項の刑に処し、同法第二一条を適用して、未決勾留日数中主文第二項掲記の日数を右本刑に算入し、訴訟費用は、被告人が貧困のため納付することのできないことが明らかであるから、刑事訴訟法第一八一条第一項但書を適用して、被告人に負担させない。
(裁判官 山崎薫 野間礼二 大石忠生)